生まれた性別を自分の性別として認識するなんて
そんな当たり前の事を、何をいまさら?って思うかもしれないよね?
世の中の大半の人は、自分の性別に違和感なんて持たないだろうし
それは「おかしなこと」って考えると思う。
でも、私の場合はちょっと違ってて
幼稚園に入る前の記憶とかもあって
その頃の私は、プールでも女の子用の水着じゃないといやだったり恥ずかしかったり
幼稚園に行ってから、男児用の胸を隠さない水着がずっと恥ずかしくて水に浸かってたりしてた子でした。
性の目覚めというか、「イク」感覚を覚えたのは幼稚園に入る前後でした。
股に挟んで足を延ばすと、腿の筋肉で強く挟まれて気持ちよくなる事を知ってしまい
ソレが何なのかわからないままずっとシてました。
さすがに小学校に入るころには水着には「慣れて」来ましたが
ずっと「この格好が普通なんだ」って思うようにしてました。
プールの時に女子たちを見て、なんで自分とは違うんだろう…と感じてました。
小学4年の頃に精通を体験して、パンツを汚してショックを受けたりしましたが
まだソレが何なのかわからないままでした。
柔らかい状態の竿を皮で包みこむ様に押し込んで
いつかこの股の間にあるものが無くなるんじゃないかとか
真剣にかんがえたりしてました。
中学に上がると、性欲に抗えなくなって来て悩みました。
どギツイいじめも受けてたけど友達も片手では数えれれないくらいいたし
ギリギリ普通のラインに収まっていたと思う。
ただ、この頃から心の中に、もう一つの人格がいて
キツい事があったり、悩みが重い時は
ソイツとよく話したりすることがありました。
そういう時、ソイツが割と乱暴で狂暴な男の子で、
私は女の子的な感性に分かれていたと感じます。
結局それが追い詰められて精神が分裂していたのかどうなのかは
いまだに判別はつかないです。
結局表に出てくることは無かったですから。
高校に行くと
いじめから脱却する為に、高校デビューみたいな感じで
ビシッっと髪型短くしてキメて、胸と肩を張って堂々と振舞うように意識しました。
いじめられなくなったし、友達も守ることが出来る様になったり
なんだか知らないところで、いろんな人にスゴいヤツみたいな感じで知られてて
「???」ってなる事があったけど
概ね平和に日常を過ごせてました。
私が行った高校は男子校でしたが
ある時、教室で少女漫画が流行りまして
それから私もいろんな少女漫画を読む様になりました。
妹が読んでた漫画も含めて読み漁り
気が付いたら、ジャンプよりリボンっ子になってましたね(笑)
BLにはまだハマりませんでした。
私は割と潔癖症な方なので
どうしてもお尻でするという事に耐性が無くて
少女漫画は好きだし、イケメンも好きだけど
ゲイではないんだと思ってました。
高校を卒業して声優の道を目指した時
いろんなレッスンがありましたけど
自分の性別とは違う役をやるという回があって
そこで、初めて自分の本当の意識に気が付いた気がします。
男を表現するより、女を表現する方が自然でやりやすい
でも決してオカマさんの演技というわけではなくて
私自身が共感しやうし、というか自然に表現できるというか。
あるべきナニかがここにあるという感触でした。
ただ、世の中はまだまだそうしたジェンダーに対しては差別的で偏見も強かったし
生まれた性別が持つ「性的役割」を果たすのが義務みたいな所があったので
大人になって、ますます自分を偽り、自分をなだめすかし、役割を果たさなければ!
っとして生きていたけど
ふとした瞬間には仕草やしゃべり方に女性的なものが出ていたし
声も元々高かったのもあって可愛く接客してしまう事があって
「あぁ・・・」
ってなったりしてました。
しかし、脳みそが司令を出す性欲は
間違いなく男性のもので、刺激すれば正しく機能するし
社会も性的役割を果たせと示してくることから
「本当の自分」を偽るようにセルフマインドコントロールするようになりました。
そしてある程度それは成功していたと思う。
やがて、性同一性障害とかトランスジェンダーとかの言葉を聞くようになって
徐々に「そういうものもあるんだ」と勉強もするようになって
トランスジェンダーは必ずしも、おかまさんや、ニューハーフの人「とは限らない」
という事を知るようになって
改めて自分の人生を考えてみたとき
まず髪を長く伸ばしたら、長くなるほど女性化する自分に気付きました。
服装についても
男装のつまらなさをずっと感じていて、
スーツや時計とかにお金をかけてみてもコレじゃない感がつきまとい
レディス服が着たい、スカートが穿きたい、ヒールも履いてみたい
という思いが強くなるばかり。
これはただの女装「癖」?
それとも別の違う何かがそう思わせているの?
っと、自分の内面と向き合った結果
ただの趣味とか嗜好とかフェチじゃなくて
「偽りの自分」を「改めたい」
「ありのままの自分」を出して生きていきたい
という事に根差していたんだなと気づきました。
じゃあ、それはいつから?
自分史を振り返ってみたとき
私の記憶違いなんだろうか?っと古いアルバムを漁ってみると
女児用の水着を着た幼い頃の私が写ってました。
あれは記憶違いじゃなくて、ちゃんと「覚えてた」
そのあとの「気持ち」も全部「間違いじゃなく」て本当の記憶だったんだって。
脳みそが出す信号が
物理的な肉体を支配する電気信号の結果でしかなくて
精神や自我・意識ってのは
もしかしたら、もっと別の何かが原型を形作っているのかもしれないです。
だから、もし肉体という枷から解放されたら
この性欲からも解放されて悩むことも無くなるのか
それとも、女になったらなったで、肉欲はカタチを変えて発露するのか
非常に興味が尽きないけども
とりあえず、
男としての身体的反応は、逃れられない絶対遵守の束縛ではないのかもしれない。
今は、そう思います。
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